西光寺
時宗 東福山 西光寺
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Saikouji Blog

和尚のひとりごと “実家近くのスタバにて”

故郷に帰ってきた。

月に一度、

高齢の両親を

かかりつけのお医者さんにつれながらの付添のために。

新しい春を迎えたら父は八十八歳、

母は九十歳を迎える。

それぞれ

病気をかかえて

そのからだと付き合いながらの二人暮らし。

心配ではあるが、

いまのところ

落ち着いていて不定期に顔を出すようにしている。

ここ数ヶ月は、

月に一度の定期検診に付き合う役をつとめている。

もともと

車も乗らない自転車生活、

そんな生活が長いと

どうしても体に無理をかけて対処しようとする。

理解力も徐々に落ちてくるだろうし、

からだは、

ますます言うことをきかなくなってくる。

そんな一年一年を妹たちと見ながら今日まできた。

お寺を守り何十年、

現役を引退して隠居したとはいえ、

やっぱりこの場所がいいと言う。

もう、

遠く離れた子どものところへと引き取られても知らない土地、

きっと心的な病が進んでいくだろう。

二人のバランスが微妙で支え合っている。

まあ、

こんな状態がいつまでも続くわけではないが、

いまを生きているその姿に一遍上人の教えを見た。

いまを生きる積みかさね、

ただいまのお念仏に生かされ瞬間瞬間生きている喜びを知る。

私も父も時宗(じしゅう)を開かれた

宗祖の一遍上人(いっぺんしょうにん)の教えを学び修行し、

万人に伝える僧侶として生きてきたから、

漢字がならぶ難しい仏教言葉より、

その年齢に達して

その生き方そのものが人に伝える布教となっているかもしれない。

私が父の年齢を迎えるまで残り三十年、

私は…どのような生き方を選び生きていることだろう。

存在そのものもあやしいかもしれない。

とっくに

この世を離れて

極楽というところへ続く旅を終えている頃かもしれない。

まさにいまを生きる瞬間、

命終える瞬間まで、

一遍上人の教えのまま歩んだ道を跡に残していくことが、

これからも私の実践であり、

『生きるとは?』

の答えを求める修行でもあるのだろう。

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さて、

こうして故郷に帰ってくると、

いつも隣の都…京都の風にあたりにいく。

学生時代を過ごした街ではあるが、

過去と現代が融合された不思議空間がなんとなく私を誘い、

“行き先京都の電車”に乗ってしまう。

好きだからなんだろうな。

平成二十九年十二月十五日、

金曜日午後三時、

実家近くのスタバにてここに記しておこう…和尚のひとりごとでした。

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