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時宗 東福山 西光寺
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Saikouji Blog

和尚のひとりごと “バレーボールと歩んだ栗東中学校…比叡山高等学校…花園大学…ご本山…それが私の軌跡”

懐かしいあの頃を振りかえっておりますが、

私にとって青春時代の日々、

来る日も来る日も心とカラダをついやしたバレーボール、

ふとその原点に還りたいと思います。

私がバレーボールに興味を抱くようになったのは、

中学校に入学する前、

ちょうど

1972年に開催されましたミュンヘンオリンピックにて

見事金メダルに輝いた、

日本代表男子バレーボールチームの物語を描いた実写とアニメーション、

『ミュンヘンへの道』

を見ていたことがきっかけでした。

【中学校に進んだら部活動はバレーボール部に】

小学生の私は心に決めておりました。

そして、

地元の中学校でありました栗東中学校に入学と同時に、

私にとってのバレーボールの歴史をスタートさせました。

あの頃、

バレーボール部の練習といえば、

まだまだ炎天下の外コート。

校舎の新築に合わせて

体育館も最新のものへと生まれ変わりましたが、

…とはいえ、

体育館はもともとインドアスポーツ部の場所、

毎週、

土曜日の午後、

限られた時間だけ使わせていただいたものです。

バレーボールの練習は、

どんな季節でも外があたりまえの時代でした。

成績は低迷しておりましたが三年間やり通して高校へ進学。

私の自宅から琵琶湖をはさんで向かい側、

延暦寺学園比叡山高等学校へと通い、

片道二時間の電車通学を続けました。

もちろん、

高校にはいってもバレーボール部に入部、

一年生のときから公式試合のベンチ入り、

これも私の歴史に刻まれた心の勲章です。

高校を卒業するまでのバレーボール部の成績は、

県大会三位が二度。

創部以来の記録を残し、

いまも、

バレーボール特待生を募集していなかった頃の輝かしい記録として、

後輩たちには伝説になっているようです。

高校を卒業したあとは…花園大学の時代、

栗東町

(いまの栗東市…当時はまだ町)のバレーボール選抜チームの選手に選ばれて四年間、

それに平行して

スポーツ少年団のバレーボール部監督を依頼され、

学生時代も相変わらずバレーボールとの縁を楽しんでおりました。

大学卒業と同時にご本山へ僧侶の修行へ。

厳しいすべての修行を終えた記念写真には、

若かりし日の私がおります。

そんな歴史を経ていまがある私ですが、

その背中を見ていた

私と十二歳離れている

一番下の妹も中学校にはいるとバレーボール部に入部して、

そのあと、

高校からお誘いがあり、

バレーボールの特待生として

滋賀県近江八幡市にあります女子バレーの強豪校へ進学。

そして、

大学から声をかけていただいて

バレーボール推薦学生として四年間、

岐阜県の女子バレー強豪大学に。

高校も大学もキャプテンをつとめて、

私と同様、

バレーボールに燃えて青春時代を楽しんでおりました。

そんな妹を見ておりますと、

それも

私がバレーボールを続けてきた証かなと思っております。

IMG_6608

中学校時代のチームメート

(外のグランド)、

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高校時代のチームメート

(トスをあげようとしているのが私)、

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高校のクラスメートたちとのひととき

(私の性格を変えてくれた恩人の同級生たち)、

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スポーツ少年団のバレーボール部監督時代

(バレーボールの教え子といっしょに)、

そして、

それらの時代や歴史があって

昭和五十九年三月九日、

修行を終えて僧侶の道を歩みはじめた私なのです。

IMG_6605

人には歴史があり、

心に刻んだ勲章もあります。

タイムマシーンが開発されない限り、

過去には帰れぬ時間ではありますが、

確かなことは、

あの頃に心だけはもどれる不思議な力、

無くすことができない宝物、

それが青春時代に燃えたかけがえのないあの時の私…

“軌跡”なのです。

さて、

日付が変われば八月も残り一日となりました。

今日はあの頃にもどった心を、

この時間…

秋の虫の音色が優しく飾ってくれました…和尚のひとりごとでした。

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